2011年03月07日

大島優子 高画質画像・写真・壁紙801〜805

大島優子801 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子802 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子803 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子804 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子805 高画質画像・写真・壁紙
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[子供・ジュニアアイドル時代]
1988年10月17日、日本人の父親と、アメリカ人と日本人のハーフの母親との間に生まれる(クオーター)。
1996年、7歳(小学1年生)の時、母親のすすめで劇団に所属し、芸能活動を始める。子役としてのテレビデビュー作は、同年のドラマ『ひよこたちの天使』
小3の時のドラマで、山中湖へ飛び込むシーンなどの撮影があった。母親もいたが、スタッフから「お母さんはこの現場を見ないで下さい」と言われ離された。後で聞いた話だと、保険金をかけられていた。危険な撮影などもあったが、既に女優を目指すようになっていたため、別に辛いとは思わなかった。
小学校6年生の時に、栃木に引っ越すが、その直後に両親が離婚。大島は父親側に引き取られ、以後は父子家庭に育つ。当時は引っ越したばかりだったため、相談できる様な友達もおらず、「母親は逃げた」と思っていた。でもそういう風に思っている自分も嫌だった。この年頃の女の子は難しく、はじめて生理がきたが、こうゆう時に本来相談するべき母親が大島にはおらず、かといって父親に相談できるような事でもなかった。でも思い切って父に相談してみた。ここでもっと親子関係がよくなるかもしれないと思った。そうしたら父親もパニックになってしまい、結局はお婆ちゃんに教えてもらった。でもその様な事がキッカケで、父親には何でも相談できるという親子関係を築くことができた。
子役時代はセリフの少ない再現VTRなどの仕事が多く、本人は「芽が出なかったので、辞めようと思った」。そして別の仕事、ジュニアアイドルなどの活動を開始。
2003年、高校1年のときフジテレビの『SDM発i』という番組のタカミープロジェクト「Doll's Vox」に参加。これはTHE ALFEEの高見沢俊彦がプロデューサーとなり、新時代のアイドルユニット結成を目指して展開中のこのプロジェクトで、コンセプトは「業界初、50人組のアイドルオーケストラ」。
その後プロジェクトはCSの『CS発!美少女箱』に移動し、メンバー25人で2005年にCDを1枚リリースしたが、それを最後に活動は終了。メンバーは個々の活動へと戻っていった。「これは期待のグループだ」と本人は思っていただけに、活動終了を聞かされ相当落ち込み、所属事務所も辞めた。ちなみにこのグループには、アイドリング!!!9号の横山ルリカも所属しており、のちにユニット「AKBアイドリング!!!」として共演している。
2005年、当時は高校2年生で、そろそろ進路を決めなければならない時期だった。栃木から東京まで通うのも金銭的な負担がかかるし、小学生の時からやっていた手話を生かし、手話通訳士になろうかとも考えた。
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