2011年02月04日

大島優子 高画質画像・写真・壁紙596〜600

大島優子596 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子597 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子598 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子599 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子600 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2009年}
7月9日に行われた第1回総選挙では、AKB48のエースを張り続けた前田敦子に次ぐ第2位。開票イベント当日、会場に大島の姿は無く、司会者は「途中からの参加」と説明していた。実はこの日、大島は高熱に浮かされ、立つ事も出来ない状態だった。スタッフにはイベントの欠席を勧められたが、大島は「応援してくれたファンに一言お礼が言いたい」として、会場に駆けつけた。
壇上のスピーチでは「私は上を目指す事をやめません。皆さん、私の背中をこれからも押して下さい」と当選挨拶をした。イベント終了後は、自宅に運ばれ数日間仕事を休養する事になった。
浦野一美によると、選挙後、シアターの楽屋で大島と会い、どう話しをしていいのか浦野が迷っていると、大島がポロッと「10年後、私は残るよ」という言葉を発したので、浦野は感動して「ゾワ〜」ってなったとか。
ソロの活動も多い大島だが、常に「AKB48の大島」である事を意識して行動しているという。「仕事をキチンとやるのは当たり前ですけど、挨拶や楽屋での振る舞いも気をつけました。スタッフの方にも『AKBの子はしっかりしてるね』って思われたら、他のメンバーの仕事にも繋がるんじゃなかと思って。そうやってAKBをどんどん盛り上げていく、それが総選挙で2位を頂いた私の役割じゃないかなって思ったんです」
テレビ局関係者も「彼女を取材して、悪い印象を持つ人は聞いたことがありません。取材前はほかのメンバーを気に入っていた人も、大島を取材すると、彼女のファンになってしまうほど。礼儀正しいし、笑顔を絶やさない。撮影中も、自分に何が求められているか、キチンと考えて対応するため、こちらとしても非常にありがたいのです」と好印象。
8月、仕事に対するプロ意識が高く、仕事をきちんとしないチームKのメンバーや、やる気の無いメンバーには、「まじムカツク」と発言している。最近ではメンバーのソロ仕事も多くなってきているが、劇場公演はチーム単位で行われる。ましてチームKは、3チームの中で最もチームワークが高いと言われている。チームKにいる時は、自分のキャラを少しは潰して、みんなの事を考えて行動しなければならない。ダンスや歌に関しては、やるのが当たり前。それが出来ない者に対しては、追求するまで言うのがチームK。
10月15日、ダンサーとの交際疑惑が浮上した。詳細はノートを参照。
10月17日、写真集発売記念握手会にて交際については否定。友達である事を強調した。運営からの処分も無し。
10月23日、『週刊AKB』の大運動会の50M走で1位を獲得。大島は運動神経が良く、特に足はAKBで一番速い。2010年5月に行われた体力測定でも1位を取っているというNo1スプリンター。

2011年02月02日

大島優子 高画質画像・写真・壁紙591〜595

大島優子591 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子592 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子593 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子594 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子595 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2009年}
今やAKBは国民的アイドルなどとも紹介されるが、しかし一昔前までは「人気は一部男性ファンだけのもの」とも言われていた。そんな時、大島は『AKBINGO!』のジョシ・ジョーシキ5というコーナーで「女子高生がカラオケでよく歌うアーティスト」に自分たちAKB48を予想。結果、4位にランクインしており、女性人気も出てきた事に感激し号泣したことがある。
4月頃、実はAKBを辞めようと思った事がある。「当時、自分なりにAKBを良くしたいと思ってたんですけど、いろいろ考えすぎて煮詰まっちゃって。メンバーともぶつかっちゃったり。でも、1回言いたい事を言って、後は相手に任せようって考えたら、気が楽になって。あの時期を乗り越えられたから、今のAKBがあるのかなって思いますね」と、当時を振り返っている。
またこの頃に風邪で喉の調子を悪くする。この時期は公演の数が多く、余計に喉を悪化させた。
4月11日、大島は将来のために手術を受ける決意をし、14日に喉の手術を受ける事をK公演で発表した。
4月14日、声が元に戻るかなどの不安や恐怖などもあり、やはりAKBを辞めたいとも思ったが、秋元才加をはじめとするチームKのメンバーから「やっぱ優子がいなきゃダメだ…」というメールを貰い、AKB48として活動を続けていく事を決めた。
実は昔からのファンには分かるが、実際に手術前と手術後では大島の声が変わっている。本人も「ハスキーが良いって言われてたりもしたから、前の私の声じゃなくなったから、離れていくファンもいるかもしれないって、不安でしょうがなかった」と語る。でも「手術して本当に良かったなと思いました。めちゃくちゃ高い声が出せるんですよ。挑戦の幅が広がりましたね」とあくまでポジティブ。
4月26日、コンサート「神公演予定」で、ファンの人気投票で選抜メンバーを決めるという「選抜総選挙」の開催を告知される。
AKBとしてデビュー以来、大島はチームKのエースと呼ばれてきたが、AKB全体では、チームAというスター軍団に後塵を拝し、前田敦子、大島麻衣、小嶋陽菜、中西里菜の次に位置し、いつも4番手とか5番手というポジションだった。その後、エースとされていた大島、中西などのメンバーが卒業し、いつしか大島はAKBの人気を、前田と二分するにまでなっていた。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙586〜590

大島優子586 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子587 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子588 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子589 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子590 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2007年}
3月、高校を卒業し、東京で一人暮らしをはじめた。そして小学生以来会っていなかった母親と再会した。その後、ちょくちょく会うようになり、どんどん尊敬するようになった。
4月、3rdシングル『軽蔑していた愛情』のPV撮影で、久しぶりに演技をする事に。今まで歌やダンス、MCをやってきたが、やっぱり自分は「演技がしたい」と再確認した。そして本気で女優になろうと決意した。
{2008年}
10月、10thシングル『大声ダイヤモンド』が発売。センターは、結成されたばかりでまだデビューすらしていなかったSKE48の松井珠理奈が務めると聞かされた。正直、「こいつはなんだ?」と思った。大島は選抜メンバーの20名には選ばれたが、フロントメンバーからは外された(衣装は制服がモチーフになっており、前列にいる10名は上着有りだが、後列10人は上着がなくシャツ。大島はジャケット無しだった)。実はこの曲の少し後に1期生が大量に卒業し、5期生など研究生あがりが重用されるようになってきた。AKBの中でもいろいろと変化の起こった時期だった。大島と同じく同期の秋元才加もフロントからは外され、2人で「とうとう来たよ、世代交代」と思った。でも珠理奈の存在は、逆にやる気を奮い立たされた。まだまだ負けてられないと思い、狂った様に頑張った。
11月29日、急性虫垂炎になり入院。手術を受ける。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙581〜585

大島優子581 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子582 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子583 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子584 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子585 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2006年}
7月、初のKオリジナル公演「青春ガールズ」が開始。Aの真似をしていたチームに、自分たちの曲やフリが与えられた。メンバーみんなで一喜一憂し、チームKの結束力はさらに強くなっていった。しかし、大島だけは違った。大島はずっと一人でやってきていたし、アイドルグループのメンバー同士は仲が悪いという先入観もあった。だから、「みんなで仲良くしようと思う」と言っていても、「どこかで足を引っ張られるんじゃないか」という不安があった。今だから言えるが、当時はぶっちゃけ猫を被っており、優等生キャラを演じていた。心の中では、まだメンバーの事は誰も信用しておらず、ある日の話し合いで「私、みんなの事を信用していないから…」とボソッと漏らしてしまった事もある。全員シーンとなり、「えっ? 仲間…じゃないの?」みたいな空気になった。大島が本当にメンバーに心を許したのは、デビューから1年半以上たってからだった。
当時、スタッフに言われてショックだった事に、「芸能活動が長いから、もう伸びないだろう。だから他の子に注目していこう」と言われたこと。AKBはコンセプトの1つに、成長の過程を見せるというのがあるが、大島はすでに“伸びしろ”はないと思われていた事。それが悔しかった。チームKではセンターを任されてはいたが、経験があるからとりあえず立たせておこうという感じで、スタッフから支持されていた訳ではなかった。当時、AKBの振付を担当していたのは夏まゆみで、メンバー全員にコメントを書いた本を配ったが、大島の本に書かれていたのは「いつか本物になってください」だった。最初は意味が分からなかったが、でもスタッフの話などを聞いていくうちに、自分の実力が認められてセンターを任されたのではなく、とりあえず経験者だからセンターに立たされていただけだと知った。おそらく夏が言いたかったのは「(今は偽りのセンターだけど)いつか本物になってください」という意味だと思った。立たされるのではなく、自分で立つ。それが本物になる事だと思った。
12月、3rd Stage「脳内パラダイス」が開始。このセットリストには、大島のソロ曲「泣きながら微笑んで」がある。秋元からは「お前にプレゼントする曲なんだよ」と言われたが、そのありがたみよりも、プレッシャーの方が強かった。元々、女優志望のため、歌はそんなに自信はなかった。実際この曲になると、お客さんの中には眠ってしまう人もいた。秋元に相談したら、「お前は女優になりたいんだろ? だったら女優としてアイドルを演じてるつもりでやれ」と言われた。それで気が楽になった。公演中に「寝ている人がいなくなるように、ちゃんと仕上げていきたいと思います」と宣言した。歌の上手い増田有華が舞台袖で出番前に大島の手を握りながら歌ってくれて、音程を確認してから毎回出るようになった。だんだん寝る人は少なくなり、最後にはいなくなった。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙576〜580

大島優子576 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子577 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子578 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子579 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子580 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2006年}
2月、それでも夢はやはり諦めきれずラストチャンスだと思い、AKB48の追加メンバーオーディションを受ける。結果は合格した。3日後ぐらいからレッスンが始まり、高校が終わった後に東京まで来てレッスンし、終わった後に栃木に帰るということを繰り返していた。送り迎えは父がしてくれて、お弁当なども作ってくれていた。
レッスン中からメンバー同士の戦いは始まっており、とにかくダンスを早く覚えた者が勝ちみたいな状況だった。2人1組でペアのレッスンがあったが、大島はダンスの上手かった梅田彩佳と組み、なんとか盗んでやろうと考えていた。それほど必死だった。「スカート、ひらり」というユニット曲があるが、その5人に選ばれるのは、運営に認められるという事だったので、どうしても自分も入りたいと思った。そして自分も選ばれた時には、親に報告したほどだった。その後、梅田とは一時期一緒に住んでいた事もある。
チームKと言えば結束力の高さや、仲間意識の強さが有名だが、最初はみんなほとんど口をきかなかった。ライバル意識が強く、いろいろな事が積み重なり、みんなフラストレーションが溜まっていた。そしてデビューの前日には、秋元才加と大堀恵の大喧嘩も起こった。
4月1日、2期生で結成されたチームKのメンバーとして劇場公演デビュー。初日こそ満員となったが、じょじょに客数は減っていった。デビューのセットリストはチームAが前日まで使用していた物だったため、ファンも複雑な思いがあり素直には受け入れられなかった。むしろ酷評されたとも言っていいほどだった。バラバラだったチームKのメンバーは、どうすれば良いかを毎日話し合いをするようになった。それから互いに打ち解け合うようになった。
5月25日、板野友美のアンダーとして、チームAの公演に出演。KのメンバーがAの公演に出演したのは初。
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