2011年02月06日

大島優子 高画質画像・写真・壁紙696〜700

大島優子696 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子697 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子698 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子699 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子700 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2006年}
7月、初のKオリジナル公演「青春ガールズ」が開始。Aの真似をしていたチームに、自分たちの曲やフリが与えられた。メンバーみんなで一喜一憂し、チームKの結束力はさらに強くなっていった。しかし、大島だけは違った。大島はずっと一人でやってきていたし、アイドルグループのメンバー同士は仲が悪いという先入観もあった。だから、「みんなで仲良くしようと思う」と言っていても、「どこかで足を引っ張られるんじゃないか」という不安があった。今だから言えるが、当時はぶっちゃけ猫を被っており、優等生キャラを演じていた。心の中では、まだメンバーの事は誰も信用しておらず、ある日の話し合いで「私、みんなの事を信用していないから…」とボソッと漏らしてしまった事もある。全員シーンとなり、「えっ? 仲間…じゃないの?」みたいな空気になった。大島が本当にメンバーに心を許したのは、デビューから1年半以上たってからだった。
当時、スタッフに言われてショックだった事に、「芸能活動が長いから、もう伸びないだろう。だから他の子に注目していこう」と言われたこと。AKBはコンセプトの1つに、成長の過程を見せるというのがあるが、大島はすでに“伸びしろ”はないと思われていた事。それが悔しかった。チームKではセンターを任されてはいたが、経験があるからとりあえず立たせておこうという感じで、スタッフから支持されていた訳ではなかった。当時、AKBの振付を担当していたのは夏まゆみで、メンバー全員にコメントを書いた本を配ったが、大島の本に書かれていたのは「いつか本物になってください」だった。最初は意味が分からなかったが、でもスタッフの話などを聞いていくうちに、自分の実力が認められてセンターを任されたのではなく、とりあえず経験者だからセンターに立たされていただけだと知った。おそらく夏が言いたかったのは「(今は偽りのセンターだけど)いつか本物になってください」という意味だと思った。立たされるのではなく、自分で立つ。それが本物になる事だと思った。
12月、3rd Stage「脳内パラダイス」が開始。このセットリストには、大島のソロ曲「泣きながら微笑んで」がある。秋元からは「お前にプレゼントする曲なんだよ」と言われたが、そのありがたみよりも、プレッシャーの方が強かった。元々、女優志望のため、歌はそんなに自信はなかった。実際この曲になると、お客さんの中には眠ってしまう人もいた。秋元に相談したら、「お前は女優になりたいんだろ? だったら女優としてアイドルを演じてるつもりでやれ」と言われた。それで気が楽になった。公演中に「寝ている人がいなくなるように、ちゃんと仕上げていきたいと思います」と宣言した。歌の上手い増田有華が舞台袖で出番前に大島の手を握りながら歌ってくれて、音程を確認してから毎回出るようになった。だんだん寝る人は少なくなり、最後にはいなくなった。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙691〜695

大島優子691 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子692 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子693 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子694 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子695 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2006年}
2月、それでも夢はやはり諦めきれずラストチャンスだと思い、AKB48の追加メンバーオーディションを受ける。結果は合格した。3日後ぐらいからレッスンが始まり、高校が終わった後に東京まで来てレッスンし、終わった後に栃木に帰るということを繰り返していた。送り迎えは父がしてくれて、お弁当なども作ってくれていた。
レッスン中からメンバー同士の戦いは始まっており、とにかくダンスを早く覚えた者が勝ちみたいな状況だった。2人1組でペアのレッスンがあったが、大島はダンスの上手かった梅田彩佳と組み、なんとか盗んでやろうと考えていた。それほど必死だった。「スカート、ひらり」というユニット曲があるが、その5人に選ばれるのは、運営に認められるという事だったので、どうしても自分も入りたいと思った。そして自分も選ばれた時には、親に報告したほどだった。その後、梅田とは一時期一緒に住んでいた事もある。
チームKと言えば結束力の高さや、仲間意識の強さが有名だが、最初はみんなほとんど口をきかなかった。ライバル意識が強く、いろいろな事が積み重なり、みんなフラストレーションが溜まっていた。そしてデビューの前日には、秋元才加と大堀恵の大喧嘩も起こった。
4月1日、2期生で結成されたチームKのメンバーとして劇場公演デビュー。初日こそ満員となったが、じょじょに客数は減っていった。デビューのセットリストはチームAが前日まで使用していた物だったため、ファンも複雑な思いがあり素直には受け入れられなかった。むしろ酷評されたとも言っていいほどだった。バラバラだったチームKのメンバーは、どうすれば良いかを毎日話し合いをするようになった。それから互いに打ち解け合うようになった。
5月25日、板野友美のアンダーとして、チームAの公演に出演。KのメンバーがAの公演に出演したのは初。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙686〜690

大島優子686 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子687 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子688 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子689 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子690 高画質画像・写真・壁紙
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[子供・ジュニアアイドル時代]
1988年10月17日、日本人の父親と、アメリカ人と日本人のハーフの母親との間に生まれる(クオーター)。
1996年、7歳(小学1年生)の時、母親のすすめで劇団に所属し、芸能活動を始める。子役としてのテレビデビュー作は、同年のドラマ『ひよこたちの天使』
小3の時のドラマで、山中湖へ飛び込むシーンなどの撮影があった。母親もいたが、スタッフから「お母さんはこの現場を見ないで下さい」と言われ離された。後で聞いた話だと、保険金をかけられていた。危険な撮影などもあったが、既に女優を目指すようになっていたため、別に辛いとは思わなかった。
小学校6年生の時に、栃木に引っ越すが、その直後に両親が離婚。大島は父親側に引き取られ、以後は父子家庭に育つ。当時は引っ越したばかりだったため、相談できる様な友達もおらず、「母親は逃げた」と思っていた。でもそういう風に思っている自分も嫌だった。この年頃の女の子は難しく、はじめて生理がきたが、こうゆう時に本来相談するべき母親が大島にはおらず、かといって父親に相談できるような事でもなかった。でも思い切って父に相談してみた。ここでもっと親子関係がよくなるかもしれないと思った。そうしたら父親もパニックになってしまい、結局はお婆ちゃんに教えてもらった。でもその様な事がキッカケで、父親には何でも相談できるという親子関係を築くことができた。
子役時代はセリフの少ない再現VTRなどの仕事が多く、本人は「芽が出なかったので、辞めようと思った」。そして別の仕事、ジュニアアイドルなどの活動を開始。
2003年、高校1年のときフジテレビの『SDM発i』という番組のタカミープロジェクト「Doll's Vox」に参加。これはTHE ALFEEの高見沢俊彦がプロデューサーとなり、新時代のアイドルユニット結成を目指して展開中のこのプロジェクトで、コンセプトは「業界初、50人組のアイドルオーケストラ」。
その後プロジェクトはCSの『CS発!美少女箱』に移動し、メンバー25人で2005年にCDを1枚リリースしたが、それを最後に活動は終了。メンバーは個々の活動へと戻っていった。「これは期待のグループだ」と本人は思っていただけに、活動終了を聞かされ相当落ち込み、所属事務所も辞めた。ちなみにこのグループには、アイドリング!!!9号の横山ルリカも所属しており、のちにユニット「AKBアイドリング!!!」として共演している。
2005年、当時は高校2年生で、そろそろ進路を決めなければならない時期だった。栃木から東京まで通うのも金銭的な負担がかかるし、小学生の時からやっていた手話を生かし、手話通訳士になろうかとも考えた。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙681〜685

大島優子681 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子682 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子683 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子684 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子685 高画質画像・写真・壁紙
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[来歴]
1996年頃よりセントラル子供劇団に所属し、子役として芸能活動を始める。
2000年頃からジュニアアイドルとして活動し、2005年にはTHE ALFEEの高見沢俊彦がサウンド・プロデュースした総勢25人のジュニアアイドルユニット、「Doll's Vox」に所属していた。それゆえに子役時代も含めると芸歴は10年以上あり、AKB48メンバーの中では最長である。
2006年2月26日、『第二期AKB48追加メンバーオーディション』に合格。オーディション直前まで、アイドルとして活動を続けていたが、2006年4月よりAKB48旧チームKの一員として新たなスタートを切った。
2007年7月、同じAKB48メンバーの前田敦子、小野恵令奈(2010年9月に卒業)とともに、太田プロダクションに移籍。
2009年4月11日の『AKB48 チームK 5th Stage「逆上がり」』公演の初日に喉の手術をすることを発表し、同月13日に手術を終え、同月20日に退院、同月25日・26日にNHKホールで開催されたコンサート『「神公演予定」* 諸般の事情により、神公演にならない場合もありますので、ご了承ください。』に、MCのみではあるが手術後初めて公の場に姿を見せた。
2009年6月から7月にかけて実施された『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では2位で、メディア選抜入りを果たした。
2010年5月から6月にかけて実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では1位で、メディア選抜入りを果たした。速報、中間発表の時点では2位であったが、最後に逆転した。マニフェストを決めるに当たり、「1位なら丸坊主!!」も考えたが、所属事務所からNGが出たため幻となった。その為、「劇場のトイレ掃除」というマニフェストを掲げ選挙に臨んだ。
2011年1月21日に開催された『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2011』2日目公演のアンコールにおいて、北原里英、指原莉乃、横山由依とともに新ユニット「Not yet」を結成することが発表され、3月16日発売のデビューシングル「週末Not yet」をお披露目した。
2011年2月24日より、AKB48オフィシャルショップ香港にて「大島優子フェスティバル」開催。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙676〜680

大島優子676 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子680 高画質画像・写真・壁紙
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[プロフィール]
大島 優子(おおしま ゆうこ)
生年月日 1988年10月17日
出生地 日本・栃木県
身長 152cm
血液型 B型
職業 アイドル、歌手、女優
ジャンル バラエティ・テレビドラマ・映画
活動期間 1996年〜

[所属事務所遍歴]
セントラル子供劇団→セントラルプロダクション→office48→太田プロダクション
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