2011年03月07日

大島優子 高画質画像・写真・壁紙821〜825

大島優子821 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子822 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子824 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子825 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2009年}
今やAKBは国民的アイドルなどとも紹介されるが、しかし一昔前までは「人気は一部男性ファンだけのもの」とも言われていた。そんな時、大島は『AKBINGO!』のジョシ・ジョーシキ5というコーナーで「女子高生がカラオケでよく歌うアーティスト」に自分たちAKB48を予想。結果、4位にランクインしており、女性人気も出てきた事に感激し号泣したことがある。
4月頃、実はAKBを辞めようと思った事がある。「当時、自分なりにAKBを良くしたいと思ってたんですけど、いろいろ考えすぎて煮詰まっちゃって。メンバーともぶつかっちゃったり。でも、1回言いたい事を言って、後は相手に任せようって考えたら、気が楽になって。あの時期を乗り越えられたから、今のAKBがあるのかなって思いますね」と、当時を振り返っている。
またこの頃に風邪で喉の調子を悪くする。この時期は公演の数が多く、余計に喉を悪化させた。
4月11日、大島は将来のために手術を受ける決意をし、14日に喉の手術を受ける事をK公演で発表した。
4月14日、声が元に戻るかなどの不安や恐怖などもあり、やはりAKBを辞めたいとも思ったが、秋元才加をはじめとするチームKのメンバーから「やっぱ優子がいなきゃダメだ…」というメールを貰い、AKB48として活動を続けていく事を決めた。
実は昔からのファンには分かるが、実際に手術前と手術後では大島の声が変わっている。本人も「ハスキーが良いって言われてたりもしたから、前の私の声じゃなくなったから、離れていくファンもいるかもしれないって、不安でしょうがなかった」と語る。でも「手術して本当に良かったなと思いました。めちゃくちゃ高い声が出せるんですよ。挑戦の幅が広がりましたね」とあくまでポジティブ。
4月26日、コンサート「神公演予定」で、ファンの人気投票で選抜メンバーを決めるという「選抜総選挙」の開催を告知される。
AKBとしてデビュー以来、大島はチームKのエースと呼ばれてきたが、AKB全体では、チームAというスター軍団に後塵を拝し、前田敦子、大島麻衣、小嶋陽菜、中西里菜の次に位置し、いつも4番手とか5番手というポジションだった。その後、エースとされていた大島、中西などのメンバーが卒業し、いつしか大島はAKBの人気を、前田と二分するにまでなっていた。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙816〜820

大島優子816 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子820 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2007年}
3月、高校を卒業し、東京で一人暮らしをはじめた。そして小学生以来会っていなかった母親と再会した。その後、ちょくちょく会うようになり、どんどん尊敬するようになった。
4月、3rdシングル『軽蔑していた愛情』のPV撮影で、久しぶりに演技をする事に。今まで歌やダンス、MCをやってきたが、やっぱり自分は「演技がしたい」と再確認した。そして本気で女優になろうと決意した。
{2008年}
10月、10thシングル『大声ダイヤモンド』が発売。センターは、結成されたばかりでまだデビューすらしていなかったSKE48の松井珠理奈が務めると聞かされた。正直、「こいつはなんだ?」と思った。大島は選抜メンバーの20名には選ばれたが、フロントメンバーからは外された(衣装は制服がモチーフになっており、前列にいる10名は上着有りだが、後列10人は上着がなくシャツ。大島はジャケット無しだった)。実はこの曲の少し後に1期生が大量に卒業し、5期生など研究生あがりが重用されるようになってきた。AKBの中でもいろいろと変化の起こった時期だった。大島と同じく同期の秋元才加もフロントからは外され、2人で「とうとう来たよ、世代交代」と思った。でも珠理奈の存在は、逆にやる気を奮い立たされた。まだまだ負けてられないと思い、狂った様に頑張った。
11月29日、急性虫垂炎になり入院。手術を受ける。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙811〜815

大島優子811 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子813 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子814 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子815 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2006年}
7月、初のKオリジナル公演「青春ガールズ」が開始。Aの真似をしていたチームに、自分たちの曲やフリが与えられた。メンバーみんなで一喜一憂し、チームKの結束力はさらに強くなっていった。しかし、大島だけは違った。大島はずっと一人でやってきていたし、アイドルグループのメンバー同士は仲が悪いという先入観もあった。だから、「みんなで仲良くしようと思う」と言っていても、「どこかで足を引っ張られるんじゃないか」という不安があった。今だから言えるが、当時はぶっちゃけ猫を被っており、優等生キャラを演じていた。心の中では、まだメンバーの事は誰も信用しておらず、ある日の話し合いで「私、みんなの事を信用していないから…」とボソッと漏らしてしまった事もある。全員シーンとなり、「えっ? 仲間…じゃないの?」みたいな空気になった。大島が本当にメンバーに心を許したのは、デビューから1年半以上たってからだった。
当時、スタッフに言われてショックだった事に、「芸能活動が長いから、もう伸びないだろう。だから他の子に注目していこう」と言われたこと。AKBはコンセプトの1つに、成長の過程を見せるというのがあるが、大島はすでに“伸びしろ”はないと思われていた事。それが悔しかった。チームKではセンターを任されてはいたが、経験があるからとりあえず立たせておこうという感じで、スタッフから支持されていた訳ではなかった。当時、AKBの振付を担当していたのは夏まゆみで、メンバー全員にコメントを書いた本を配ったが、大島の本に書かれていたのは「いつか本物になってください」だった。最初は意味が分からなかったが、でもスタッフの話などを聞いていくうちに、自分の実力が認められてセンターを任されたのではなく、とりあえず経験者だからセンターに立たされていただけだと知った。おそらく夏が言いたかったのは「(今は偽りのセンターだけど)いつか本物になってください」という意味だと思った。立たされるのではなく、自分で立つ。それが本物になる事だと思った。
12月、3rd Stage「脳内パラダイス」が開始。このセットリストには、大島のソロ曲「泣きながら微笑んで」がある。秋元からは「お前にプレゼントする曲なんだよ」と言われたが、そのありがたみよりも、プレッシャーの方が強かった。元々、女優志望のため、歌はそんなに自信はなかった。実際この曲になると、お客さんの中には眠ってしまう人もいた。秋元に相談したら、「お前は女優になりたいんだろ? だったら女優としてアイドルを演じてるつもりでやれ」と言われた。それで気が楽になった。公演中に「寝ている人がいなくなるように、ちゃんと仕上げていきたいと思います」と宣言した。歌の上手い増田有華が舞台袖で出番前に大島の手を握りながら歌ってくれて、音程を確認してから毎回出るようになった。だんだん寝る人は少なくなり、最後にはいなくなった。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙806〜810

大島優子806 高画質画像・写真・壁紙
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大島優子810 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2006年}
2月、それでも夢はやはり諦めきれずラストチャンスだと思い、AKB48の追加メンバーオーディションを受ける。結果は合格した。3日後ぐらいからレッスンが始まり、高校が終わった後に東京まで来てレッスンし、終わった後に栃木に帰るということを繰り返していた。送り迎えは父がしてくれて、お弁当なども作ってくれていた。
レッスン中からメンバー同士の戦いは始まっており、とにかくダンスを早く覚えた者が勝ちみたいな状況だった。2人1組でペアのレッスンがあったが、大島はダンスの上手かった梅田彩佳と組み、なんとか盗んでやろうと考えていた。それほど必死だった。「スカート、ひらり」というユニット曲があるが、その5人に選ばれるのは、運営に認められるという事だったので、どうしても自分も入りたいと思った。そして自分も選ばれた時には、親に報告したほどだった。その後、梅田とは一時期一緒に住んでいた事もある。
チームKと言えば結束力の高さや、仲間意識の強さが有名だが、最初はみんなほとんど口をきかなかった。ライバル意識が強く、いろいろな事が積み重なり、みんなフラストレーションが溜まっていた。そしてデビューの前日には、秋元才加と大堀恵の大喧嘩も起こった。
4月1日、2期生で結成されたチームKのメンバーとして劇場公演デビュー。初日こそ満員となったが、じょじょに客数は減っていった。デビューのセットリストはチームAが前日まで使用していた物だったため、ファンも複雑な思いがあり素直には受け入れられなかった。むしろ酷評されたとも言っていいほどだった。バラバラだったチームKのメンバーは、どうすれば良いかを毎日話し合いをするようになった。それから互いに打ち解け合うようになった。
5月25日、板野友美のアンダーとして、チームAの公演に出演。KのメンバーがAの公演に出演したのは初。

大島優子 高画質画像・写真・壁紙801〜805

大島優子801 高画質画像・写真・壁紙
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[子供・ジュニアアイドル時代]
1988年10月17日、日本人の父親と、アメリカ人と日本人のハーフの母親との間に生まれる(クオーター)。
1996年、7歳(小学1年生)の時、母親のすすめで劇団に所属し、芸能活動を始める。子役としてのテレビデビュー作は、同年のドラマ『ひよこたちの天使』
小3の時のドラマで、山中湖へ飛び込むシーンなどの撮影があった。母親もいたが、スタッフから「お母さんはこの現場を見ないで下さい」と言われ離された。後で聞いた話だと、保険金をかけられていた。危険な撮影などもあったが、既に女優を目指すようになっていたため、別に辛いとは思わなかった。
小学校6年生の時に、栃木に引っ越すが、その直後に両親が離婚。大島は父親側に引き取られ、以後は父子家庭に育つ。当時は引っ越したばかりだったため、相談できる様な友達もおらず、「母親は逃げた」と思っていた。でもそういう風に思っている自分も嫌だった。この年頃の女の子は難しく、はじめて生理がきたが、こうゆう時に本来相談するべき母親が大島にはおらず、かといって父親に相談できるような事でもなかった。でも思い切って父に相談してみた。ここでもっと親子関係がよくなるかもしれないと思った。そうしたら父親もパニックになってしまい、結局はお婆ちゃんに教えてもらった。でもその様な事がキッカケで、父親には何でも相談できるという親子関係を築くことができた。
子役時代はセリフの少ない再現VTRなどの仕事が多く、本人は「芽が出なかったので、辞めようと思った」。そして別の仕事、ジュニアアイドルなどの活動を開始。
2003年、高校1年のときフジテレビの『SDM発i』という番組のタカミープロジェクト「Doll's Vox」に参加。これはTHE ALFEEの高見沢俊彦がプロデューサーとなり、新時代のアイドルユニット結成を目指して展開中のこのプロジェクトで、コンセプトは「業界初、50人組のアイドルオーケストラ」。
その後プロジェクトはCSの『CS発!美少女箱』に移動し、メンバー25人で2005年にCDを1枚リリースしたが、それを最後に活動は終了。メンバーは個々の活動へと戻っていった。「これは期待のグループだ」と本人は思っていただけに、活動終了を聞かされ相当落ち込み、所属事務所も辞めた。ちなみにこのグループには、アイドリング!!!9号の横山ルリカも所属しており、のちにユニット「AKBアイドリング!!!」として共演している。
2005年、当時は高校2年生で、そろそろ進路を決めなければならない時期だった。栃木から東京まで通うのも金銭的な負担がかかるし、小学生の時からやっていた手話を生かし、手話通訳士になろうかとも考えた。
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